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松本若菜さんの実家がどこにあるのか、どんな家族なのか気になっている人は多いのではないでしょうか。ネットでは実家がうなぎ屋でお金持ちという噂もあり、本当なのか知りたくなりますよね。
この記事では、松本若菜さんの実家の場所や、うなぎ屋やお金持ちという噂の真相をまとめました。おじいさんとお父さんが自分たちで建てたという、大工一家ならではの実家のエピソードも紹介します。
さらに、厳しいお父さんや謙虚さを教えたお母さん、上京を後押ししたお姉さんたちの話も取り上げます。両親に土下座して芸能界に入った話や年収の推定、世間の声まで、ぜひ最後までチェックしてみてください。
松本若菜の実家は鳥取県米子市!うなぎ屋やお金持ちの噂と大工一家の真相
- 実家は鳥取県米子市のどこ?弓ヶ浜周辺と言われる理由
- 実家はうなぎ屋?噂が広まったのは上京後のアルバイト先
- 実家はお金持ち?堅実な職人一家と言われる理由
- 実家は祖父と父が建てた家!大工道具に囲まれた子ども時代
- 家族構成は両親と姉2人の5人家族!三姉妹の末っ子
実家は鳥取県米子市のどこ?弓ヶ浜周辺と言われる理由
松本若菜さんの実家は、鳥取県米子市にあります。所属事務所の公式プロフィールでは出身地が鳥取県と紹介されていて、本人もインタビューやテレビ番組で、米子市で育ったことを話しています。
2025年4月に初めて出演した『徹子の部屋』でも、15歳のときに地元・米子市のショッピングモールでスカウトされた話を披露していました。ちなみに、松本若菜という名前は本名で、1984年2月25日生まれです。生まれも育ちも米子市という、まさに鳥取っ子なんですね。
米子市のどのあたり?
では、実家は米子市のどのあたりなのでしょうか。じつは、番地や詳しい場所は公表されていません。ネット上では、米子市の富益町あたりではないかという噂があります。
この噂は、通っていたとされる地元の小学校や中学校の通学区域から推測されたものです。ただ、その区域には富益町のほかに夜見町や彦名町の一部も入っているので、富益町と決めつけることはできません。弓ヶ浜周辺のどこか、というくらいに考えておくのがよさそうです。
海と自然に囲まれた米子市
実家がある米子市は、日本海に面した自然豊かな町です。白い砂浜が続く弓ヶ浜海岸や、海辺に湧く皆生温泉があり、皆生温泉は日本のトライアスロン発祥の地としても知られています。
少し足をのばせば大山のすそ野が広がっていて、動物とふれあえる大山トム・ソーヤ牧場や、海を見渡せる米子城跡といった観光スポットもあります。弓ヶ浜のあたりは海岸や畑が身近にある、のどかな地域です。
子どもの頃の松本若菜さんは、外で遊ぶのが大好きな活発な女の子だったそうです。2人のお姉さんを追いかけては転んで、あざを作っていたほどだとか。その一方で、家の外では人見知りをする内弁慶な一面もあったといいます。
今のクールで大人っぽい雰囲気からは想像しにくいですが、海と畑に囲まれたのびのびとした環境が、松本若菜さんの原点なんですね。実家の詳しい住所を探すよりも、自然いっぱいの弓ヶ浜周辺で、家族と一緒に堅実に暮らしていたと知っておくくらいが、ちょうどいいのかもしれません。
実家はうなぎ屋?噂が広まったのは上京後のアルバイト先
松本若菜さんの実家について調べると、うなぎ屋さんではないかという噂がよく出てきます。実家がうなぎ屋さんだったら、ちょっと意外で気になりますよね。
ですが、実家はうなぎ屋さんではありません。実家の家業として伝えられているのは、お父さんの大工の仕事です。家族がうなぎ屋さんを経営していたという話は、どこにも出ていません。
新宿のうなぎ屋さんでアルバイト
では、なぜうなぎ屋さんの噂が広まったのでしょうか。理由は、上京してからのアルバイト先にあります。
松本若菜さんが鳥取県から上京したのは、2006年3月9日のことで、当時22歳でした。東京では生活費をかせぎながら演技を学ぶため、新宿のルミネtheよしもとの近くにあるうなぎ屋さんで働いていたそうです。
うなぎ屋さんでアルバイトをしながら演技のレッスンに通い、初めて受けたオーディションで見事に合格。それが2007年の『仮面ライダー電王』で、佐藤健さんが演じる主人公・野上良太郎のお姉さん、野上愛理役で女優デビューを果たしました。うなぎ屋さんで働いていた時代につかんだ、大きなチャンスだったんですね。
めざましmediaのインタビューによると、『仮面ライダー電王』のメンバーは本人も含めてほぼ全員がデビュー作だったそうで、みんなで頑張っていこうという雰囲気だったと振り返っています。
このうなぎ屋さんでのアルバイトの話が紹介されるうちに、いつのまにか実家がうなぎ屋さんという話にすり替わってしまったようです。
調理師免許も噂のもとに?
もうひとつ、噂が広まった理由として考えられているのが、松本若菜さんが調理師免許を持っていることです。料理が得意で、特技にも料理をあげているので、実家が飲食店なのではと想像した人もいたのかもしれません。
ただ、調理師免許は早く手に職をつけて自立したいと考えて取ったもので、実家の仕事とは関係ありません。うなぎ屋さんの噂は、上京後のアルバイト先と実家がまざって広まったものと考えてよさそうです。
うなぎ屋さんで働く松本若菜さん、もしお店にいたら思わず二度見してしまいそうですよね。
実家はお金持ち?堅実な職人一家と言われる理由
うなぎ屋さんの噂とあわせて、実家はお金持ちなのではという声もあります。品のある雰囲気や、実家を祖父と父が自分たちで建てたというエピソードから、大きなお屋敷を想像する人もいるようです。
ですが、実家がお金持ちや豪邸だという話を裏付ける情報は見つかっていません。祖父と父が建てた家といっても、2人とも大工さんなので、自分たちの手で家を建てたということです。広さや外観も公表されていないので、家を建てたことだけで豪邸と決めることはできません。祖父と父が家を建てたという珍しいエピソードがひとり歩きして、豪邸のイメージにつながったのかもしれませんね。
早く自立したかった末っ子
松本若菜さんの歩みを見ても、実家に頼って華やかに暮らしていた印象はありません。2人のお姉さんが自分で働いて収入を得ている姿を見て、自分も早く自立したい、家に生活費を入れられる大人になりたいと考えていたそうです。
15歳でスカウトされたあとも、すぐには芸能界に入らず、地元の会社に就職して社会人として働いていました。地元では化粧品関係の会社で、美容部員などの仕事を経験したそうです。
22歳で上京してからも、うなぎ屋さんなどのアルバイトで生活費をかせぎながら女優を続けています。実家からの仕送りで優雅に暮らしていた、という話は出てきません。
自立を大切にする家族
かといって、生活に困っていた家庭というわけでもありません。お父さんとおじいさんは大工として地道に働き、家族みんなが仕事や自立を大切にしていた、堅実な家庭だったと見るのが自然です。近所の大工仲間と一緒に地域の神社を建てたこともあるほど、地元に根ざした仕事をしてきた職人一家なんですね。
松本若菜さん自身も、めざましmediaのインタビューで、自分は完全に昭和型で育ってきたと笑って話していました。厳しいしつけの中で、自分のことは自分でという考え方が身についたのかもしれませんね。
お金持ちかどうかよりも、手に職をもって働く大人たちに囲まれて育ったことが、長い下積みを乗り越えた粘り強さにつながっているように感じます。
実家は祖父と父が建てた家!大工道具に囲まれた子ども時代
松本若菜さんの実家は、おじいさんとお父さんが建てた家です。2025年8月、『ザ・ノンフィクション』の語りの収録を終えたあとのめざましmediaのインタビューで、実家も祖父と父が建てたと本人が明かしました。
大工さんが自分の家を建てること自体はめずらしくないかもしれませんが、おじいさんとお父さんの二代で力を合わせて建てた家と聞くと、なんだかあたたかい気持ちになりますよね。二代の職人さんが力を合わせて完成させた家なので、松本若菜さんにとっては特別な生家なのでしょう。
カンナを見ると懐かしい
大工一家の実家には、大工道具がいつも身近にありました。語りを担当した番組の映像にたくさんの大工道具が映っていたそうで、カンナを見ると懐かしい気持ちになったと話しています。
子どもの頃には、道具に触ろうとして、危ないよと怒られたこともあったとか。好奇心いっぱいの末っ子の姿が目に浮かぶエピソードです。
小さい頃には、おじいさんが建てたという近所の神社を教えてもらったこともあったそうです。家族の仕事を身近に感じながら育ったことが、こうしたエピソードからも伝わってきます。大工一家ならではの、ものづくりの空気がいつもそばにあったのでしょう。
手芸好きは大工一家ゆずり?
松本若菜さんといえば、手芸やものづくりが好きなことでも知られています。インタビューでは、父が大工で、小さい頃から手芸が好きだったと話していて、手芸に50万円を使ったこともあるそうです。
特技には料理やネイルアートを、趣味には日舞やギターをあげていて、手先を使うことが得意なのがよくわかります。おじいさんとお父さんが、手を動かして一つのものを作り上げる姿を見て育ったことが、ものづくり好きにつながっているのかもしれません。
実家の場所や外観は公表されていませんが、二代の職人さんが建てた家で、大工道具に囲まれて育ったことは、松本若菜さんにとって大切な思い出になっているようです。長い下積みの間も目の前の仕事をこつこつ続けた粘り強さには、職人さんの生き方が受け継がれているように感じます。
家族構成は両親と姉2人の5人家族!三姉妹の末っ子
松本若菜さんの実家は、お父さん、お母さん、2人のお姉さん、そして松本若菜さんの5人家族です。松本若菜さんは三姉妹の末っ子として生まれました。
一番上のお姉さんとは4歳、2番目のお姉さんとは3歳はなれています。年の近い姉妹なので、子どもの頃はお姉さんたちのあとを追いかけて、外でよく遊んでいたそうです。女の子3人の家は、きっとにぎやかだったでしょうね。
| 家族 | 伝えられている人物像 |
|---|---|
| 父親 | 大工。寡黙で、生活のルールにとても厳しい |
| 母親 | 一般の方。謙虚さを教え、娘の決断を見守った |
| 長女 | 4歳上。上京の頃にはすでに結婚していたとされる |
| 次女 | 3歳上。家を継ぐからと上京を後押しした |
| 本人 | 三姉妹の末っ子 |
このほか、おじいさんもお父さんと同じ大工さんでした。ご両親とお姉さんは一般の方なので、名前や職業などのくわしい情報はほとんど公表されていません。それでも、松本若菜さんがテレビやインタビューで話してきたエピソードから、家族それぞれの人柄が伝わってきます。
2022年の『情熱大陸』ではお父さんの姿が紹介され、2025年4月の『徹子の部屋』では、両親とのエピソードをたっぷり語っていました。家族の話がたびたび出てくるところからも、家族を大切に思っていることがよくわかりますね。
女の子3人に門限は夜7時
三姉妹の家で、お父さんはとても厳しかったそうです。学生のときの門限は夜7時で、20歳までは夜10時、大人になってからも夜12時と決められていました。3人の娘をもつお父さんとしては、心配でたまらなかったのかもしれませんね。
一方で、お母さんは娘たちの気持ちをくみ取って見守るタイプでした。厳しいお父さんと、そっと背中を押してくれるお母さん、そして頼れる2人のお姉さん。そんな家族のバランスが、松本若菜さんの芯の強さとやさしさを育てたのでしょう。
お姉さんたちは2人とも結婚していて、美容関係の仕事をしているという話もあります。働くお姉さんたちの姿は、末っ子の松本若菜さんにとって身近なお手本だったようです。
末っ子というと甘えん坊なイメージがありますが、松本若菜さんはお姉さんたちの背中を見て、しっかり者に育ちました。ここからは、お父さん、おじいさん、お母さん、お姉さんの順に、一人ずつエピソードを見ていきますね。
松本若菜の実家の家族はどんな人?大工の父・祖父と母、姉2人のエピソード
- 父親は寡黙で厳格な大工さん!門限は夜7時だった
- 祖父も大工!近所の仲間と地域の神社を建てた
- 母親はどんな人?実るほど頭を垂れる稲穂かなの教え
- 姉2人はどんな人?家を継ぐと背中を押してくれた次女
- 両親に土下座して上京!芸能界入りを反対された日
- 下積み15年を支えた家族の言葉
- 年収はいくら?9684万円説と実家との関係
- 世間の声は?厳しい家族の教えと遅咲きの努力に共感の声
父親は寡黙で厳格な大工さん!門限は夜7時だった
松本若菜さんのお父さんは、大工さんです。2022年に放送された『情熱大陸』では、弘次さんというお名前で紹介され、娘の活躍を喜ぶ姿も映されていました。
めざましmediaのインタビューで松本若菜さんは、祖父や父のように地域の人たちの家を直したり、新しく建てたりする大工さんと話しています。お父さんは地元で、人の暮らしを支える仕事をこつこつ続けてきたんですね。
そんなお父さんは寡黙で職人気質な方だったようで、家ではとても厳しかったそうです。2025年4月8日放送の『徹子の部屋』では、ちょっとでも歯向かったら、すぐお箸がぴゅんと飛んでくるような父だったと振り返っていました。
時間を守っても怒られる門限
厳しさがよくわかるのが門限です。学生のときは夜7時、20歳までは夜10時、成人してからも夜12時と決められていました。しかも、時間を守って帰っても怒られることがあったといいます。ここまで厳しいと、さすがに驚きますよね。
門限が夜7時だったため、学生時代のアルバイトも平日の放課後ではなく、週末や夏休みが中心だったそうです。芸能界の仕事は帰りが遅くなることも多いので、ここまで時間にきびしかったお父さんが心配したのも、無理はないのかもしれません。
芸能界入りには大反対
そんなお父さんは、松本若菜さんが芸能界に入ることにも反対しました。上京の日にはバスの停留所まで見送りに来てくれたものの、そこでかけた言葉は、やめるなら今だぞでした。
デビューしたあとも、電話をするたびに、いつ帰ってくるんだと言い続けたそうです。それは松本若菜さんが38歳から39歳になるまで続いたといいます。
厳しい言葉ばかりに聞こえますが、成功の保証がない世界で苦労する末っ子が、心配でたまらなかったのでしょう。大工として手に職をつけて家族を支えてきたお父さんらしい親心だったのかもしれません。今では、娘の活躍を誰よりも喜んでいるはずです。2022年の『情熱大陸』で、反対していたお父さんが娘の成功を喜ぶ姿が紹介されたのは、なんだかうれしいエピソードですね。
祖父も大工!近所の仲間と地域の神社を建てた
松本若菜さんのおじいさんも、お父さんと同じ大工さんでした。そのことを本人が明かしたのは、2025年8月10日に放送された『ザ・ノンフィクション』の語りを担当したときです。
この回は、神社やお寺を修復する宮大工を目指して全国から集まった10代の若者たちを追ったドキュメンタリーでした。舞台は大阪府太子町にある宮大工養成塾で、生活スペースはわずか1畳、朝は4時半に起きて、食事は正座で黙って食べるという厳しい環境です。若者たちはそこで3年間かけて、一人前の宮大工を目指します。番組では、カンナ削りに苦戦しながらも修業を続ける若者たちの姿が描かれました。
塾をつくったのは、塾長の金田優さんです。資金難や宮大工不足で修繕できない神社仏閣が全国にあることから、修繕を安く引き受ける代わりに、現場で未来の宮大工を育てています。
収録のあとのインタビューで、松本若菜さんは自分の祖父と父も大工だと話しています。
おじいさんが建てた神社
おじいさんは、近所の大工さんたちと一緒に、地域の神社を建てたことがあるそうです。松本若菜さんは小さい頃、近所の小さな神社に行ったときに、ここはおじいちゃんが建てたんだよと教えてもらったと振り返っています。
自分の家族が建てた神社が地元にあるなんて、ちょっと誇らしい気持ちになりますよね。
宮大工が減ることは人ごとではない
お父さんからも、今は宮大工が少ないんだと聞いていたそうで、番組の話をもらったときは、人ごとではないと思ったと話していました。
地域の人たちの家を直したり建てたりする大工さんもいれば、何百年、何千年と続く神社仏閣を再建する大工さんもいます。百年後、千年後も宮大工さんがいられるように、若い人を育てる取り組みが増えてほしいと願っていました。
修業する若者たちのことは、女将のような気持ちで見守っていたそうです。スマホも私語も禁止という厳しい環境でがんばる姿に、昭和型で育った自分を重ねたのかもしれません。大工一家に生まれた松本若菜さんだからこそ、心からのエールになったのでしょうね。
母親はどんな人?実るほど頭を垂れる稲穂かなの教え
松本若菜さんのお母さんは一般の方で、名前や職業は公表されていません。それでも、本人がテレビやインタビューで話してきたエピソードから、芯の強い、あたたかい方だということが伝わってきます。
お母さんがよく伝えていたのが、実るほど頭を垂れる稲穂かなという言葉だそうです。稲は実るほど穂が垂れ下がるように、人は成功するほど謙虚でいることが大切という意味のことわざで、松本若菜さんは今もこの言葉を座右の銘にしているといいます。
2022年のブレイクから主演作が増えた今の松本若菜さんにとって、この言葉はますます大切なものになっているのかもしれませんね。めざましmediaのインタビューでも、デビュー当時の厳しい現場を振り返って、すごく良い経験をさせていただいたと話していて、お母さんの教えどおりの謙虚さが感じられます。
土下座した娘にかけた言葉
お母さんの人柄がよくわかるのが、芸能界入りのときのエピソードです。松本若菜さんが本気で女優を目指すと決めたとき、両親はダメの一点張りでした。
それでも最後に、たった1回の人生だし、やりたいように一度は苦労してみてもいいんじゃないと言ってくれたのがお母さんでした。頭ごなしに反対するのではなく、娘の人生を娘自身に任せてくれたんですね。厳しいお父さんとの間に立って、末っ子の背中を押してくれたお母さんの言葉がなければ、2006年の上京は実現しなかったかもしれません。
何でもお見通しのお母さん
松本若菜さんは2025年の『徹子の部屋』で、母は何でも分かるんだなと話していました。女優を辞めようとしたときにも、お母さんは多くを語らず、娘の気持ちをまるごと受け止めてくれたそうです。そのときのエピソードは、あとの見出しでくわしく紹介しますね。
謙虚さを教え、大事な場面では娘の決断を信じて見守る。そんなお母さんの存在が、松本若菜さんの落ち着いた雰囲気や、ぶれない芯の強さにつながっているように感じます。人気が出てからも謙虚な姿勢を崩さないのは、お母さんの教えがあるからなのかもしれません。
姉2人はどんな人?家を継ぐと背中を押してくれた次女
松本若菜さんには、4歳上と3歳上の2人のお姉さんがいます。お2人とも一般の方なので、名前や顔は公表されていません。
子どもの頃の松本若菜さんは、お姉さんたちのあとを追いかけて外で遊ぶのが大好きで、転んであざを作るほどだったそうです。それくらい、お姉さんたちのことが大好きだったんですね。
お姉さんたちはすでに結婚していて、2人とも美容関係の仕事をしているという話があります。ただ、本人が2014年にSNSに投稿した内容からはっきりわかるのは、お姉さんの1人が化粧品関係の仕事をしていたことです。2人とも美容関係かどうかまでは、確かめられていません。
姉たちを見て早く自立したいと思った
2人のお姉さんは、松本若菜さんの生き方にも大きな影響を与えました。自分で働いて収入を得ているお姉さんたちを見て、松本若菜さんも早く自立したい、家に生活費を入れられるようになりたいと考えるようになったそうです。
手に職をつけようと調理師免許を目指したのも、地元で就職して働いたのも、お姉さんたちの姿があったからなんですね。お姉さんたちの背中を追いかけていた小さな末っ子が、いつのまにか自分の足で立つことを考えるようになっていたことがわかります。
次女が家を継ぐと申し出てくれた
とくに大きな支えになったのが、すぐ上の2番目のお姉さんです。松本若菜さんが上京を考えていた頃、一番上のお姉さんはすでに結婚して家を出ていたとされ、家を誰が継ぐのかという問題がありました。
そこで2番目のお姉さんが、自分が婿を迎えて家を継ぐから、東京へ行ってきなさいと背中を押してくれたといいます。この言葉がなければ、夢に踏み出すのはもっと遅くなっていたかもしれません。3歳しか違わない2番目のお姉さんは、末っ子にとっていちばん相談しやすい存在だったのかもしれませんね。
厳しいお父さん、見守るお母さん、そして夢を応援してくれたお姉さんたち。三姉妹の末っ子として、家族みんなに支えられていたことが伝わってきますね。あなたにも、こんなふうに背中を押してくれる家族はいますか。
両親に土下座して上京!芸能界入りを反対された日
松本若菜さんが芸能界に入るまでには、両親との大きな山場がありました。2025年4月8日放送の『徹子の部屋』で、そのときの秘話を明かしています。41歳で初めて出演したこの番組では、15年以上の下積みを経てブレイクした原点として、両親とのやりとりが紹介されました。
じつは松本若菜さんが最初に芸能界に誘われたのは、15歳のときでした。地元・米子市のショッピングモールで、俳優の奈美悦子さんから直接スカウトされたそうです。
奈美悦子さんはのちに、休憩中にとてもかわいい子を見かけて、思わず話しかけてしまった、そんなことをしたのは松本若菜さんだけだったという話をしています。ひと目で特別なものを感じたんですね。
15歳のスカウトは一度断った
スカウトされたこと自体はうれしかったものの、東京で仕事をする話が具体的になるにつれて怖くなり、そのときは断りました。その後は地元で就職し、社会人として働いていたそうです。
それから約7年。地元で働きながら将来を考えたとき、心に残っていた女優という道がどんどん大きくなりました。22歳のとき、自分から当時の芸能事務所に連絡して、本気で芸能界を目指すと決めたそうです。
アパートを決めてから土下座
問題は、両親の了解をどう取り付けるかでした。そこで松本若菜さんは、先に東京で住むアパートを見つけてから鳥取に帰り、両親の前で土下座したそうです。ここまでの覚悟、なかなかできることではないですよね。
それでも両親はダメの一点張り。最後はお母さんの言葉に背中を押されて、ようやく上京が決まりました。
上京する日、お父さんはバスの停留所まで見送りに来てくれました。そこでかけられたのが、やめるなら今だぞという言葉です。松本若菜さんは、絶対に何が何でもやってやるという思いだったので、行くと伝えたそうです。
こうして2006年に上京し、うなぎ屋さんでアルバイトをしながら、翌2007年に『仮面ライダー電王』でデビューしました。反対を押し切ってまで選んだ道だからこそ、簡単には諦められなかったのでしょうね。
下積み15年を支えた家族の言葉
2007年にデビューした松本若菜さんですが、そこからすぐに売れたわけではありません。本人が暗黒期と呼ぶ時期が続き、アルバイトで生活費をかせぎながら、15年以上も女優の仕事を続けてきました。
めざましmediaのインタビューでは、芸能界に入る前に過労で体調を崩したこともあり、この業界に入ってからは、お前は女優に向いてない、辞めろと言われて枕をぬらす日もあったと明かしています。今振り返ると、あれも一つの経験だったと話せるのは、それを乗り越えてきたからこそですね。
辞めようとした日のお母さんのひと言
32歳から33歳の頃、松本若菜さんは一度だけ、本気で女優を辞めようと考えたそうです。自分の成長や居場所に疑問を感じ、次の仕事を終えたら鳥取に帰ろうと決めて、お母さんに電話をかけました。
そのときお母さんが返したのは、分かったというひと言だけでした。松本若菜さんは、全てを肯定してくれた気がして、その言葉のおかげで、やっぱりこの世界に居続けたいと思えたと振り返っています。
もしお母さんが理由を聞いたり、帰ってきなさいと言っていたら、本当に鳥取に帰っていたかもしれないそうです。あとで聞くと、お母さんは娘が帰ってこないという自信があったから、何も言わなかったのだとか。
お父さんの言葉も親心
気持ちを入れ替えた松本若菜さんは、2017年公開の映画『愚行録』での演技が評価され、第39回ヨコハマ映画祭で助演女優賞を受賞しました。そして2022年、ドラマ『やんごとなき一族』の深山美保子役で大ブレイクを果たします。表情豊かな演技は松本劇場と呼ばれて話題になり、東京ドラマアウォード2022の助演女優賞にも輝きました。15年以上の下積みを経てのブレイクだったので、遅咲きの実力派と呼ばれるようになったんですね。
その頃までお父さんは、電話のたびに、いつ帰ってくるんだと言い続けていました。でも、それも娘を心配する気持ちの裏返しです。厳しくも見守り続けた両親の存在があったからこそ、長い下積みを乗り越えられたのでしょうね。あなたは、この家族の言葉をどう感じましたか。
年収はいくら?9684万円説と実家との関係
実家の話とあわせて気になるのが、松本若菜さん本人の年収です。ネット上では、年収9684万円という推定が紹介されています。
ただし、これは公表された金額ではありません。2023年の出演作をもとに、ドラマや映画、テレビ番組、CMの出演料の相場をかけ合わせて計算した推定です。ネット上には具体的な金額を示す記事がいくつもありますが、出演料や事務所との配分は公開されていないので、正確な年収はわかりません。
| 項目 | 推定の内訳(2023年の出演をもとにした計算) |
|---|---|
| ドラマ | 1話150万円×30話=4500万円 |
| 映画 | 1本100万円×2本=200万円 |
| テレビ番組 | 1回10万円×48回=480万円 |
| CM | 1本1500万円×3本=4500万円 |
| 合計 | 約9680万円(月807万円×12か月で9684万円) |
この計算のもとになっているのは、2023年に出演したドラマの『ONE DAY~聖夜のから騒ぎ~』や『夕暮れに、手をつなぐ』、冒険少年やさんま御殿、チコちゃんに叱られる!などのテレビ番組への出演、レインズインターナショナルや大塚製薬などのCMです。テレビ番組は、わかっているだけで48回の出演があったそうです。
推定の金額には注意
出演料はドラマや作品ごとに違いますし、全話に出演しているとは限りません。出演料がそのまま本人の手取りになるわけでもないので、この金額はあくまで目安と考えたほうがよさそうです。
とはいえ、2022年の『やんごとなき一族』でブレイクしてからは、主演作やCMの出演が一気に増えました。2024年には『西園寺さんは家事をしない』で、ゴールデン・プライム帯の連続ドラマで初めて主演を務めています。ドラマや映画、CMのほか、『ザ・ノンフィクション』の語りのようなナレーションや、バラエティー番組の仕事もあるので、下積み時代より収入が大きく増えたのはたしかでしょう。
実家がお金持ちとは別の話
ここで気をつけたいのが、今の年収と、実家がお金持ちかどうかは別の話だということです。松本若菜さんは上京してから、アルバイトで自分の生活を支えてきました。今の活躍を見て、もともと実家がお金持ちだったと考える根拠はありません。
お金の使い道としては、趣味の手芸にお金をかけているそうです。手芸に50万円を使ったこともあるという話もあり、大工一家で育ったものづくり好きは、今も変わらないようですね。
世間の声は?厳しい家族の教えと遅咲きの努力に共感の声
ここまで実家や家族のエピソードを見てきましたが、世間の人たちはどう感じているのでしょうか。制作現場の関係者の声や、Yahoo!知恵袋に寄せられた質問から、世間の声をまとめてみました。
多く見られたのは、長い下積みを乗り越えた遅咲きの女優さんとして注目する声と、厳しい家族の教えが今の人柄につながっているという声です。
芸能人と思えないほど腰が低いという評判
週刊女性PRIMEは2024年11月、主演ドラマ『わたしの宝物』のロケ現場の様子を伝えています。神社でお宮参りのシーンを撮影した日、松本若菜さんは休憩中もほかの出演者と少し距離を置いて、折りたたみ椅子でひとり待機していたそうです。
制作会社の関係者は、家族への罪悪感を抱えたままお宮参りをする場面だったので、役作りのために気持ちにふたをしたのかもしれないと話しています。そのうえで、遅咲きでブレイクした苦労人だからプロ意識がとても高いと評価していました。
同じ関係者は、人柄についても触れています。お母さんから実るほど頭を垂れる稲穂かなと言い聞かされて育ち、厳格なお父さんからは門限などを通して社会のルールやマナーをたたき込まれたので、芸能人と思えないほど腰が低く、思いやりのある性格だというのです。
2024年は夏の『西園寺さんは家事をしない』に続いて、秋の『わたしの宝物』でも主演を任されました。関係者は、続けて主演に選ばれたのもそうした人柄が大きいのではと見ています。記事は、成功の裏には両親からの教えという宝物があるのかもしれないとしめくくっていて、家族の教えが仕事の評価にもつながっていることがわかりますね。
遅咲きのブレイクに集まる関心
Yahoo!知恵袋には、遅咲きのブレイクについての質問がいくつも寄せられています。2025年4月8日に『徹子の部屋』に出演した翌朝には、41歳の松本若菜さんは遅咲きで売れたのかという質問が投稿されました。
回答では、上京して芸能界に入り、大きな役に抜擢されたものの、そのあとは暗黒時代ともいえる時期が続いたと紹介されています。アルバイト生活や貧乏暮らしを経験して、遅咲きで花開いたという見方です。番組で両親とのエピソードを知って、ここまでの道のりが気になった人も多かったのでしょうね。
ブレイクのきっかけは2022年のドラマという声
2025年8月には、飲食店でアルバイトをするなど、ブレイクまで苦労したようだけれど、いつから売れっ子になったのかという質問もありました。飲食店のアルバイトというと、上京してから働いていたうなぎ屋さんの話が有名ですね。
ベストアンサーに選ばれたのは、2022年4月期の『やんごとなき一族』が大きな飛躍だったという回答です。主演の土屋太鳳さんたちの中で、1人だけ昼ドラのような迫力のある演技を見せて、SNSなどで話題になったと振り返っています。
質問した人も、それより前に『イチケイのカラス』にゲスト出演していたけれど、大ブレイクではなかったとコメントしていました。長い下積みのあとに一気に注目を集めた流れを、多くの人が覚えているようです。
上京の日にやめるなら今だぞと言ったお父さんと、辞めようとしたときに分かったのひと言で受け止めてくれたお母さん。厳しくもあたたかい家族の教えと、あきらめずに続けた努力があったからこそ、今の松本若菜さんがあるのでしょうね。
松本若菜の実家のまとめ
- 松本若菜の実家は鳥取県米子市にある
- 実家の番地や詳しい場所は公表されていない
- 富益町など弓ヶ浜周辺という噂は、通学区域から推測されたものである
- 実家がうなぎ屋という噂は、上京後のアルバイト先との混同である
- 実家がお金持ちや豪邸だという話を裏付ける情報はない
- 実家は大工の祖父と父が自分たちで建てた家である
- 家族は父・母・姉2人・本人の5人家族で、三姉妹の末っ子である
- 父は寡黙な大工で、学生時代の門限は夜7時と厳しかった
- 祖父も大工で、近所の大工仲間と地域の神社を建てた
- 母は実るほど頭を垂れる稲穂かなという言葉で謙虚さを教えた
- 次女の姉が家を継ぐと申し出て、上京の背中を押した
- 両親に土下座して説得し、2006年に22歳で上京した
- 女優を辞めようとしたとき、母の分かったのひと言で続ける決意をした
- 父は38〜39歳になるまで、いつ帰ってくるんだと言い続けた
- 年収9684万円という推定はあるが、公表された金額ではない
出典:毎日キレイ(2025年4月8日・徹子の部屋の両親秘話)/めざましmedia(2025年8月9日・ザ・ノンフィクション語りのインタビュー)/週刊女性PRIME(2024年11月14日・わたしの宝物のロケ現場)
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